たまには、現代的な話題も扱ってみたいと思う。
WHOによると、20人に1人以上のアメリカ人がうつ病になっているという。
物質的な繁栄にも関わらず、むしろ物質的繁栄と呼応する形で、精神的問題が増加。
この背景にあるメカニズムについて、WEBにある記事や文献から考えてみる。
米国の記事や文献を使っているが、特段米国の状況について述べたいわけではない。単に米国の文献の方が入手しやすかっただけである。ここで取り上げている内容は、豊かで自由な国であれば、多かれ少なかれ当てはまると思う。
米国の病理
The World Health Organization estimates that on any given day, more than one in every 20 Americans is depressed.
出典;文献1、筆者訳
WHOは、20人に1人以上のアメリカ人がうつ病になっていると推定している。
米国の現状から話を始めたい。
薬物使用、不安、うつ病などが、米国では一つの社会問題となっているようである。日本に暮らしているとあまりピンとこないが、米国人の「20人に1人」という数字には、驚かされる。
世界的にみて、裕福で自由な国米国で、なぜこれほど精神的に問題を抱える人が多いのか?
米国におけるうつ病のトレンド。8年の間で、若者のうつ病が急増していることが読み取れる。
コラムの中では、Jean Twenge の著書 “iGen” を引用するかたちで、若者のうつ病急増の原因として、「社会的相互作用(Face-to-face social interaction)」の減少を挙げている。
低所得層において問題を抱えるリスクが高いイメージがあるが、研究によると、裕福な子供たちは、うつ病、不安神経症、摂食障害、薬物乱用など、さまざまな精神的健康問題の影響を受けやすいことがわかっている。裕福でない子供の3倍の割合で抑うつ症状を経験。裕福な子供は、裕福でない子供よりも2〜3倍、薬物の使用や乱用する可能性がある(文献2)とのこと。
米国の大学生 意識調査
HIGHER EDUCATION RESEARCH INSTITUTE AT UCLAが行なっている、THE FRESHMAN SURVEYは、大学の新入生へのアンケート。(文献4)
20の項目それぞれに対し「個人的に重要と思うか」をアンケートした結果、2019年版では、84.3 %の人が「経済的に非常に裕福であること」(Being very well off financially)を「必須」または「非常に重要」に挙げている。これは、「家族を養う」や「私の分野の権威になる」など、他の19項目を抑え堂々のトップ。
「経済的に非常に裕福であること」である。
いかに多くの人が、リッチになることを望んでいるかが伺える。アメリカン・ドリーム?
上位8項目をリストしておく。
1 | Being very well off financially 経済的に非常に裕福であること | 84.3 % |
2 | Helping others who are in difficulty 困難な状況にある他の人を助ける | 80.0 % |
3 | Raising a family 家族を養う | 71.0 % |
4 | Improving my understanding of other countries and cultures 他の国や文化についての理解を深める | 62.1 % |
5 | Obtaining recognition from my colleagues for contributions to my special field 私の専門分野への貢献に対して同僚から認められる | 55.5 % |
6 | Becoming an authority in my field 私の分野の権威になる | 55.0 % |
7 | Helping to promote racial understanding 人種理解の促進を支援する | 52.1 % |
8 | Developing a meaningful philosophy of life 意味のある人生観の開発 | 49.8 % |
さらに、いくつかの項目について、時系列変化をグラフ化しておく。
「経済的に非常に裕福であること」は、過去から上位に位置していたが、時代を追うごと、重要だと考える人の割合がますます増加している。(逆に、「私の分野の権威になる(Become an authority in my field)」が低下している。)
豊かさと幸福感
上記の調査ではっきりとしたように、米国人の多くが裕福になることを望んでいる。
経済的に非常に裕福であることが「非常に重要」であると信じて、そして彼らの豊かさが40年余り上昇し続けた。1960年から1997年にかけて、食器洗い機のある住宅の割合は7%から50%に増加し、衣類乾燥機は20%から71%に増加し、エアコンは15%から73%に増加。(出典:文献7)
米国人は今幸せか?
「とても幸せ」と報告する人の数は、1957年から1998年の間に35%から33%にわずかに減少、離婚率は2倍、十代の自殺は3倍になった。(出典:文献7)
物質的な富と自由が拡大すると同時に、精神的な貧困も深刻化していく。
David Myers のいう “The American Paradox” である。
ほとんどの人が生活必需品を買う余裕がある裕福な国では、主観的幸福度において、豊かさはぜんぜん重要ではないようだ。多くの人が気づいているはずなのに、今でも(むしろ、前にも増して)、経済的に非常に裕福であることが「非常に重要」であると考えているのだ!(むしろこっちの方がパラドックス!)
自由、自律、自己決定 (freedom, autonomy, self-determine)
米国の心理学者Barry Schwartz の主張を見てみよう。(文献3)
アメリカ人は今、自由と自律が何よりも大切にされ、自己決定の機会の拡大が個人の心理的幸福と文化の道徳的幸福のしるしと見なされる時代と場所に住んでいる。
出典:文献3、筆者訳
自由、自律性、および自己決定が過度になると、自由は一種の専制政治として経験される可能性がある。 この記事はさらに、経済学のイデオロギーと合理的選択理論の影響を過度に受けて、現代アメリカ社会は過剰な自由を生み出し、その結果、人々の生活に対する不満と臨床的鬱病が増加している。
将来の心理学の重要なタスクの1つは、個人の自由を重要視するのをやめ、人々が有意義で満足のいく生活を送るために必要な文化的制約を究明すること。
自立した個人が自由に自己決定を行い、幸福を実現していく、という米国の価値観に対し、「過剰な自由が、人々の生活に対する不満と臨床的鬱病が増加させている。だから、何らかの文化的制約が必要だ」というもの。
人間の自律性のモデルとしての市場の文脈における合理的選択理論の優位性は、自己決定に関するアメリカ人の願望に大きな影響を与えたと私は信じている。それは、私たちがすべてを市場の枠組みに適合させ、人生のすべての領域で選択と制御ができると期待しているため。経済学者は、これが産業資本主義の勝利を表していると言うかもしれない。現代のアメリカ人は彼らの行動を伝統に支配することを拒否し、市場主導の豊かさは私たちのほとんどを必要性の命令から解放する。
出典:文献3、筆者訳
結果として、すべてが選択の問題です。これは、考えられるすべての世界の中で最高です。
本当に?
心理学の立場から彼は、選択に対する制約がなくなると、「十分満足」では収まらず「パーフェクト」を期待してしまう。選択の自由は必ずしも幸福にはつながらず、むしろ不満と失望を増加させると見る。
自由(freedom)、自律性(autonomy)、合理的選択(rational choice)
↓
人生のすべての領域で選択と制御ができると期待
↓
失望感、失敗感
↓
学習性無力感(learned helplessness)
↓
臨床的鬱病(clinical depression)が増加
図式的には、こういうところか?
選択の余地が多すぎることが、自由な選択が委ねられすぎていることが、かえって幸福感を遠ざける。
↓
だから、必要な文化的制約を設けること。
そうなのだろうか?
「選択肢が多すぎることが問題となることがある」が、
「選択肢が多すぎることが問題である」と言えるのか?
ましてや、「だから、文化的制約を設けること」はおかしいと思う。
「文化的制約」を「しがらみ」と読み替えると、違和感が倍増する。
本質は、そこではないと思う。
豊かさの文化
米国の臨床心理士であるMadeline Levine によるコラムを見てみよう。(出典:文献5)
このコラムは、診療所に訪れた母と娘の描写から始まる。
どちらもタイトなデザイナージーンズと今シーズン人気のハイウェッジシューズを履いている。非常に薄く、どちらも色調の良い腕を見せびらかす服を着ている。特大のデザイナーバッグをさりげなく肩にかけ、高価なサングラスを頭に乗せている。
娘は、学校での成績はすばらしく、みんなからの人気もある、いわば「完璧な」15才。
ところが、娘は麻薬の問題を抱えている。社会的評価を得るため半夜勉強し続けるが、多くの場合「空っぽ」であり、麻薬や買い物で紛らわす。残念ながら、薬物乱用と唯物論の両方を人生の課題の解決策としてモデル化した。
母親もまた、精神的には落ち込んでおり、すべてが「完璧」に見える友人に脆弱性を示すことができないほど恐れていた。
彼女らは二人とも、この国が「勝者」を高く評価し、「敗者」を軽蔑していることを学んだ。
出典:文献5、筆者訳
二人を追い込んでいる本当の犯人は「豊かさの文化」だと著者は分析する。
「豊かさの文化」は、人よりも「もの」、協力よりも競争、そしてグループよりも個人を大切にする。
一元化された価値観:「裕福」=「幸せ」=「勝者」:豊かさの文化
↓
この価値観のもと、より「勝者」になろうとして最大限の努力
↓
そのほかの価値を切り捨てる
↓
幸せに必要な他の要素を失う
↓
不幸、精神的問題
親は、正しい「資格」がないと、子供たちが社会経済のはしごを惨めに滑り落ちてしまうのではないかと心底心配している。
出典:文献5、筆者訳
「まわりからの評価」=「自分への評価」=「幸福感に基準」という一元化された価値観の下、幸福になるためにもがき苦しむ図式。自己選択の結果であり、それは自己責任。
浅い価値観に満ちた文化の中で、私たちは、運転する車、着る服、通う学校によって人を測定するように教えられてきた。あまりにも多くの人が、明白で表面的なことに目がくらみ、物事の核心を見る常識と忍耐力を欠いている。
出典:文献5、筆者訳
実際には、「物事の核心を見る常識」を持つ人も少なくないだろう。
しかし、明白で表面的なことが価値基準だという世論が形成されれば、それこそが「現実」。この残念で残酷な現実が、豊かな米国でこそ、ますます強固なものとなってきているということだと思う。
問題の本質
最後に、American Psychologist に掲載された、チクセントミハイの記事を見ていく。(文献6)
物質的な充実と幸福の間に直接的な関係がない。
チクセントミハイは、この理由を以下の4つに要約している。
- 「相対的剥奪(relative deprivation)」現象
資源が偏在していると、人々は自分の所有物を快適に暮らすために必要なものではなく、最も多く持っている人と比較して評価する。したがって、比較的裕福な人は、非常に裕福な人に比べて貧しく感じ、結果として不幸になる。 - 期待のエスカレーション(escalation of expectations)
私たちが成功を評価するとき、私たちの心は期待をエスカレートする戦略を使用する。そのため、自分が持っているものや達成したものに長い間満足している人はほとんどいない。 - 代替価値の欠如
現代の価値基準は、貧富に基づくゼロサム階級制度の一択である。
これに代わる有力で認められたライフスタイルが存在しない。 - 他の報酬に対する感受性の萎縮
より多くの精神的エネルギーが物質的な目標に投資されるにつれて、幸福を目指す人生に必要な他の目標を追求するために残されるエネルギーは少なくなる。
問題の根源は、上記「3. 代替価値の欠如」にあると思う。
貧富こそが唯一の価値基準で、『「勝者」を高く評価し、「敗者」を軽蔑』する社会。
しかも、「貧富」は「他者との比較」により定まる価値。だからゼロサム。
このゼロサムの競争の結果により、心理的階級が決まる。それが唯一の価値基準であれば、ばかばかしいと気づいたとしても、この競争から降りることは容易ではない!
自由+平等+自己選択
↓
結果は、自己責任
↓
貧しい人は努力の足りない、軽蔑すべき人
富める人は努力家で優秀な、尊敬に値する人
満たされることのない高い目標、ステータスを下げることへの恐怖、プレッシャー。
問題は、選択の自由のあとに待ち構えている「自己責任」の「責任」が重すぎることだと思う。まわりから軽蔑されることは、とても厳しいペナルティ。
誰もがいやおうなく、このラットレースに参加させられている。
おわりに
物質的な富と自由が拡大しているのに、精神的な貧困が深刻化しているという事実。
富と自由が幸福につながるというイメージと矛盾するのでパラドックス。
でも、精神的な貧困を招くメカニズムが理解されれば、むしろ必然。
パラドックスは解消される。
でも、富の追求が精神的な貧困につながることが理解されても、それでも人は富を追求する。
これが 新たなパラドックス。
この価値観は、市場原理とがっちり結びついている。
顕示的消費が経済を回すのである。→ 消費主義
いったん出来上がったこの社会システムは、とても強靭だ。
この新たなパラドックスを解消することはできるのか?
引用文献
- Business Insider, “Depression among Gen Z is skyrocketing — a troubling mental-health trend that could affect the rest of their lives”, URL
- Family Addiction Specialist, “Are Wealthy Children More Susceptible to Drug Addiction? The Psychological Cost of Affluence”, URL
- Barry Schwartz, “Self-Determination : The Tyranny of Freedom”, American Psychologist, 2000, URL
- HIGHER EDUCATION RESEARCH INSTITUTE AT UCLA, “THE FRESHMAN SURVEY”, URL
- Madeline Levine, “Challenging the Culture of Affluence”, NAIS, 2007, URL
- M. Csikszentmihalyi, “If We Are So Rich, Why Aren’t We Happy?”, American Psychologist, 1999, URL
- David G. Myers, “The Funds, Friends, and Faith of Happy People”, American Psychologist, 2000, URL
コメント