アビリーンのパラドックス

JERRY B. HARVEYの「The Abilene Paradox:The Management of Agreement」を取り上げてみたい。
出典:The Abilene Paradox:The Management of Agreement

driving to Abilene

アビリーンのパラドックス(The Abilene paradox)におけるエピソードは、
「各メンバーが自分の好みがグループの好みに反していると誤って信じてしまって、だれも異議を唱えなかったせいで、思いもよらない方向に合意が形成されてしまう」状況をいきいきと伝えている。

元となるエピソードの要約は、wikiにも記載されているがあまりにそっけないので、以下ざっくりとまとめてみる。

エピソード(ざっくり意訳版)

6月の日曜の午後、テキサス州コールマン、気温40度。
それでも、扇風機と冷えたレモネード、それにちょっとした娯楽(ドミノ)もあるので、それなりに満足していた。

そこに突然、義理の父親が「アビリーンに行って晩御飯でも食べないか?」

はぁ?
冗談じゃない!
アビリーンまでエアコンもない車で片道100km?
正気か?

ところが、わたしの妻は「あら素敵ね。わたし行きたいわ。あなたは?」
私自身の感覚は明らかに他の人とずれていると思っていたので、「僕もいいと思うよ。お母さん次第かな。」
義理の母は、「もちろん私も行きたいわ。アビリーンへはずいぶん行っていないしね。」

かくして、アビリーンに行きが満場一致で決定された。

予想通り、アビリーンへの道は灼熱地獄、体中が砂煙で覆われる。
かくして、自身の意志で、炉のような温度で、雲のような砂嵐を通り抜けて、往復200kmの旅をした。

やっとの思いで家に帰ると、義理の母が口火を切る。
「正直言って、全然楽しくなかったわ。ほかの3人が皆行きたいと言うから付き合ったけど、ほんとは家にいたかった。」
「冗談じゃない!僕だって、みんなが行きたいって言うからみんなの意見を尊重しただけだ!」

だれも本当に行きたがってはいなかった。
それなのに、アビリーン行きを決行し、みんな不機嫌になってしまった…

パラドックス

とてもありがちな、誰しも経験のある状況だと思う(ここまで典型的ではないにしろ)。
いろんなことを考えるきっかけを与えてくれるステキな描写だと思う。

さて、人が集まると、なぜこんなヘンな方向に傾いてしまうのだろうか?

著者の言い方では、「組織は、実際にやりたいことと矛盾する行動をとることが多く、そのため、達成しようとしている目的そのものを駄目にする。」というパラドックス。

組織は、実際にやりたいことと矛盾する行動をとることが多く、そのため、達成しようとしている目的そのものを駄目にする。
Organizations frequently take actions in contradiction to what they really want to do and therefore defeat the very purposes they are trying to achieve.

パラドックスは一般に、私たちが理解または期待するものとは異なる論理または理論的根拠に基づいているという理由だけでパラドックスです。

パラドックスの分析

著者の分析では、

彼らがする必要があると信じるものに従って行動することを考えるときに生じる激しい不安(行動不安、Action Anxiety)があり、その不安は、組織のメンバーが、理にかなったものの理解に従って行動した結果として何が起こるかについての否定的な空想(Negative Fantasies)によって支えられている。
その空想の裏には、本当のリスク(Real Risk)もあるが、アビリーンを選ぶ決定の根底にある本当のリスクは個人の未知への恐怖にあると言わざるを得ない。
分離、疎外、孤独は私たちが知っていることであり、恐れである。
研究と経験の両方から、村八分は考案可能な最も強力な罰の1つであることが示されている。

他人からの分離につながる可能性のあるリスクを冒すことへの恐れがパラドックスの核心だ。
それは私たちが気付かないかもしれない方法で表現を見つけ、そしてそれは最終的に組織内の自己破壊的な決定につながる自己破壊的で集団的な欺瞞の原因である。
That fear of taking risks that may result in our separation from others is at the core of the paradox.
It finds expression in ways of which we may be unaware, and it is ultimately the cause of the self-defeating, collective deception that leads to self-destructive decisions within organizations.

このエピソードに限ると、分離、疎外、孤独っていうのはちょっと言い過ぎで、「相手の気を悪くしないように遠慮していたら、あらぬ方向で意見がまとまっちゃった。」ってところだと思うけど。
謙虚で、和を重んじるのは日本人だけじゃないんだね。

このパラドックスの症状

著者によると、

  1. 組織のメンバーは、個人としては、組織が直面している状況または問題の性質について了解している。
  2. 組織のメンバーは、個人としては、直面する状況または問題に対処するために必要な手順について了解している。
  3. 組織のメンバーは、お互いの希望や信念を正確に伝えられない。
  4. そのような不正確な情報により、組織のメンバーは、彼らがやりたいこととは反対の行動を取るように集団で決定し、それによって組織の意図と目的に反する結果に到達する。
  5. 非生産的な行動をとった結果、組織のメンバーはフラストレーション、怒り、苛立ち、組織に対する不満を経験する。
  6. 最後に、組織のメンバーが根本問題(合意を管理できないこと)に対処しない場合、サイクルはより激しく繰り返される。

アビリーンパラドックスは合意の管理の失敗を反映している。
事実、紛争(意見の対立)に対処できないことではなく、合意に対処できないことが現代組織の最も差し迫った問題であるというのが私の主張である。
To repeat, the Abilene Paradox reflects a failure to manage agreement.
In fact, it is my contention that the inability to cope with (manage) agreement, rather than the inability to cope with (manage) conflict, is the single most pressing issue of modern organizations.

別なシチュエーション

あきらかに無理のある研究開発にアサインされたとする。
成功するあてもないのに、研究開発費を使い続けることは、会社の利益に反する行為である。
失敗するに決まっている価値のない仕事に毎日真剣に取り組むのは苦行以外の何物でもない。
メンバー1人1人がそのことを十分に分かっていたとする。

では、

「この研究開発は必ず失敗に終わると思う。今すぐ中止すべきだと思う。」

あなたはそれが言えますか? (だれか言ってよ…)
だれも言えないから、みんなでアビリーンに向かうことになる。

このシチュエーションでは、
 相手への配慮ではなく、
 孤立することへの怖れというよりも、
「不誠実な非チームプレーヤーとして追放されるリスク」が優っている。

現在の計画に異を唱えることは、その人にとっては非合理的。(だからだれも声を上げない)
だからといって、アビリーンに向かうのは、組織にとっては非合理的。
どちらにしても非合理的。

社会人をやっていると、こんなシチュエーションは日常茶飯事である。
(アビリーンのパラドックスを、「各メンバーが自分の好みがグループの好みに反していると誤って信じて、したがって異議を唱えないという、グループコミュニケーションの崩壊」と捉えるなら、このシチュエーションは場合によってはアビリーンのパラドックスとは言えないかもしれない。)

解決策

解決策はあるのか?

その結果、パラドックスの有害な影響を破壊する力は、組織内の階層的な位置からではなく、状況の根底にある現実に立ち向かい、話すことから来ます。
したがって、その現実に直面するリスクを冒すことを選択した組織のメンバーは、組織をパラドックスの支配から解放するために必要な力を持っています。
Consequently, the power to destroy the paradox’s pernicious influence comes from confronting and speaking to the underlying reality of the situation, and not from one’s hierarchical position within the organization.
Therefore, any organization member who chooses to risk confronting that reality possesses the necessary leverage to release the organization from the paradox’s grip.

著者は要するに、「勇気を持って声をあげるべき」といっているように思える。
それはそうなんだけど、それで済むならパラドックスでもない。
特効薬がないからこそパラドックス。

でも、この問題、
 A: 孤立や処遇の悪化のリスクを犯してでも意見を述べるか?
 B: アビリーンに行くか?
の二者択一問題なのだろうか?

二者択一問題だと捉えると、ジレンマから抜け出せない。
でも、どちらでもない道があると思う。

最初のエピソードであれば、
「いいですね。でも流石にいまの季節は暑いので、近くの冷房の効いたレストランに行くっていうのはどうですか?」
くらいで返しておけば、まるく収まる。

二つ目の「別なシチュエーション」に対しても、対応策(あるいは、あるべき姿勢)があると思っている。
むずかしいけど、このシチュエーションにうまく対応できない組織には未来がない。
でも、これについては話が長くなるので、別な機会に譲りたいと思う。

おわりに

「本棚」における一つ目の話題を何にしようか、迷った末にできるだけ小粒なものを選んだつもりだったけど、けっこう時間がかかってしまった。根気がいつまで続くのか、いささか不安になる…

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